保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。
その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。
隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。
一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。
約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。
嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。
改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。

暗殺の地「柳田」・・・。

国府から、木の丸殿からもそれほど遠くない所で、都から送られて来た三木近安と云う武将に暗殺されたと記録に残っています。
身の危険を察知なされた上皇は、木の丸殿から逃げ出され、池の畔に在った大きな木のうろの中に身を隠されました。
しかし華やかな色のご衣装が池の水に映って居た為、三木近安に容易に探し当てられて切られたそうです。
その関係で白峰寺や白峰宮には「三木」と云う姓の人は立ち入り禁止になっています。お気を付け下さい。
流人の上皇を監視する役人は居ても、身辺を警護する随身(ずいしん=近衛府の官人=雛人形に武者姿の人形)が随従していなかった様です。

御覧のように、地域の方が花を手向けています。
この様に香川県人の中讃地域の人は今も上皇を慕って居るのです。
多くの写真を掲載致しますので数回に渡ってUp致します。
この情報の続きは下記のページでご覧下さい。ブログで掲載している写真では案内板の文字が読めないと思います。
ホームページでは案内板の文字が読めるようにもっと大きな写真を載せています。↓
崇徳上皇ゆかりの地を巡って